あらすじ
シズカと交流することに何とか成功した星彦は、直に話すことができないため、SNSで交際しようと目論む。だが道のりは程遠く、一進一退を繰り返す日々だ。そのうちシズカの様子がおかしいことに気づいた星彦は、ツイッターを使って問い詰める。するとシズカは徐々に理由を話し始めた。
登場人物
結城星彦…片思いに悩む、関東の地方都市出身の大学生。印象が薄く、好きな女性に存在を知られていなかったことに大きなショックを受けている。
シズカ…星彦が片思いをしている女性。穏やかだが感情がわかりにくく、付き合いにくい。
理人…星彦の親友。六本木で生まれ育ったおしゃれ男子。
愛梨…理人の彼女。ぽっちゃり体型が悩みで、食べることが大好きなのに我慢の日々である。
巧…教職の授業で同じグループになった、熱血教師を目指す一途な野球青年。
田島…岩手出身の純朴で心優しい詩をこよなく愛する男。シズカが想いを寄せている疑惑がある。
その8
今年は六月始めから、梅雨入りしたかのように曇りと雨が一日の中で交互にやってきて、六月に太陽を見たのは数回だった。七月に入ってからは、完全に雨が降らなかった日はまだない。
小さい頃に七月に雨がこれほど続いた記憶はなく、家の周りで夜空に輝く星を見渡す機会は多くなかったとは言え、母親の実家では満天の星を眺めることができたものだ。だから七夕は単なる行事となっている大学近辺に住む子どもたちよりは、自然を感受する機会が多い子ども時代を過ごせたように思う。
俺は先月から、大学の近くにある公立小学校に通う児童たちと、週末に公園で遊ぶボランティアサークルに入った。教師を志望する学生にとっては、就活の加算点になる単なるボランティア活動より重みがある、むしろインターンに近い活動だ。
都会の、特に教育熱心な親が多いこの地域の子どもたちは、実に小綺麗で、躾が行き届いて、お利口さんで扱い易い。元気さも程よく、適度に子どもらしい。俺の子どもの時みたいに、あまりに訳知らずな我が子の行動に泣き出す母親や、大人が苦笑するほどませた物言いをする子どもを目にすることはほとんどない。皆、親が子の心配をすることを忘れてしまうのではないかと危惧するほどに無難に、小学生らしく振る舞っている。
かく言う俺も附属にいたのだから、この子たちと大差はない。よい子を演じて大きくなった人間に世話をされる、よい子を演じる子どもたち。茶番であるか。いや、この子たちの中にも真実は必ずある。演じることができる賢さを持つ子どもなら、きっと自分の居場所を自分で見つけられるはずだ。
目一杯体を使って子どもたちと一日遊ぶと、心の汚れが拭き取られたように澄んだ気持ちになる。やはり子どもはいい。毎日一緒に過ごしても嫌にならないくらいだ。可愛げのない中学生や、脳が死んでるかまたは学歴で完全に俺をバカにして、上から見下した態度をとる高校生と毎日過ごすことを想像すると、暗闇しか見えてこない。いっそ思い切り方向転換して小学校の教師にでもなるか。
活動を終えて浄化された心で夜道を歩いていると、小さな空に弱々しく光る星を久しぶりに見つけて、これからの進路のことを考えた。もうすぐ誕生日だな。やっと成人か。酒もタバコももうやってるから、これと言って変わることはないな。選挙も別に興味ないし。だけど、将来の仕事のことくらいは真剣に考えなきゃ。おばあちゃんからもらったお年玉のぽち袋の中に入っていた「人生一度きり」という力強い言葉が俺の気持ちを逸らせる。ただ年齢が増えただけの一生で終わらせたくはない。
「誕生日おめでとう」
俺の誕生日、日付が変わってすぐにラインで言葉を送ってきたのは理人だった。男にもこうだから、女にモテないわけはない。
「ありがとう。忘れられてるかと思った」
「あんだけ誕生日アピールされて無視できるほど強気で生きてないよ」
「どうもどうも」
「明日のパーティー楽しみにしてて」
「うん。ありがとう!」
今日のために俺はオープンにしたツイッターとインスタで毎日お知らせを欠かさなかった。
『七月六日は結城星彦くんの誕生日』
このフレーズが常に頭に浮かぶように、俺は様々な言葉や写真を使って刷り込み作業を行った。これも一種のサブリミナル効果詐欺なのかもしれない。いや、詐欺ではないな。危機管理だ。教師の危機管理で大事なのは、常に忘れものをする生徒には何度も伝達することだ。課題提出程度なら成績を下げればいいが、行事関連の「忘れ」は教師の業務能力を問われることにもなりかねない。俺は良い教師になれそうだ。シズカみたいなぼんやりした子にもきちんと救いの手を差し伸べる、慈悲深い教師として評判になるだろう。
学校に行くと、理人みたいに心の琴線に触れる祝福を与えてはくれないにしても、会った時に「おめでとう」と言われたり、適当な時間に、ラインの誕生日お知らせ機能で知った俺の誕生日を祝う、適当な言葉を送られたりした。なかなか嬉しいものだ。程度の差はあっても、俺の誕生日を祝ってくれるということは、俺が今存在していることを肯定してくれているということなのだから。
教職後の遅い昼食に、誕生祝にもらった食券で買ったチキン南蛮定食を食べながら、次の課題についてだらだらと三人で話をした。話が進まなくて、怠惰な空気を変えたかったのか、おもむろに巧はサークルの勧誘をしてきた。
「ねぇねぇ。やっぱ、『教師になろう会』に入ろうよ。その方が絶対いいって。勉強になるよ~」
巧は教員採用試験を受験する学生たちが集まるサークルに所属していて、先輩からの情報を豊富に持っていた。俺と理人はこのサークルに入るのを事あるごとに勧誘されている。
「うん。でもまだ『天神子ども会』に入ったばっかだし、バイトも変えたいしね」
俺はあまり気乗りがしないので、曖昧に入会を避けていた。
「俺もおんなじ。バイト、慢性的に忙しいし」
理人は、このサークルのあまりに現実的な活動内容に拒絶反応を覚えるようで、俺と一緒に入った『天神子ども会』とバイトの忙しさを理由にやんわりと断り続けていた。確かに理人は霞を食って生きている男だ。教員採用試験問題の傾向と対策を学び、試験官に受ける面接ができるように鍛練すること自体無理だし、必要とも思っていないはずだ。彼はそんなサークルには絶対入らない。
巧のように、現実を見据えて生きていくのは立派なことだ。だけど目の前の現実しか見えない人間に、末永き佳き人生が待っているとは思えない。遊びのある生き方。それこそが知性の表れなのだ。俺は今、豊かな人生の入口にいる。何よりも優先したい事がある。それはシズカとの絆をつないでいくことだ。一年がかりで手に入れた宝物を誰からも奪われることなく、俺の側に携えていくのはかなり難しそうだ。周りは敵ばかりだし、シズカすら曲者だから、この恋の命は短いように思えてならないのだ。いや、気弱になる必要はない。俺は地獄に堕ちた勇者なのだから。誰も俺の右に出るものはない。
ブッとスマホが鳴った。今日33人目の誕生祝ラインだろう。返事は定型文を送るだけだが、そのファイブクリックすら面倒臭くなってきた。チキンにタルタルソースをまんべんなく塗り広げると、かぶりつきながらワンクリックした。俺はチキンが喉につまりそうになるほど驚き、ツークリック目は無くなってしまった。シズカからのラインだった。
「結城くん、お誕生日おめでとう。二十歳になったんだから、もっと自分を大切にしてね。お酒とたばこはほどほどに」
俺はシズカがくれた愛情溢れた言葉に感動して、チキンを飲み込むことができず、ただただ緩い咀嚼を繰り返していた。異変に気づいた理人は「どしたの?」と俺に声を掛けたが、察しがついたようで、巧から彼の得意とする課題についての前向きな意見を引き出そうとしてくれていた。
いくら俺でもすぐにシズカに返事はしようと思った。肝腎な時に決める。それが俺のスタイルだ。
「ありがとう。たばこは吸い過ぎに気をつけたいね。」
返信すると汗がどっと吹き出して、ハンカチで何度となく額を押さえた。
「だよね、星彦」
熱弁を奮っていたらしい巧は、急に俺に会話をふってきた。全く話が見えない俺は、さも聞いていたように落ち着いた声で「そうそう」と答えた。会話に不自然な流れは無く、巧は上機嫌で続きを話始めた。理人は実に繊細で気の利いた男で、俺を別空間に置いておくために、巧と絶妙なやり取りを続けてくれていた。
それからまた、ちょっとだけシズカから優しい言葉が贈られてきて、汗が本格的に止まらなくなってきた。俺は巧に悟られないように、まずは落ち着こうと返信を少し先伸ばしにした。