インストーカー

恋愛小説を毎週水曜日に連載していきます。

第二部インストーカー8

あらすじ
  シズカと交流することに何とか成功した星彦は、直に話すことができないため、SNSで交際しようと目論む。だが道のりは程遠く、一進一退を繰り返す日々だ。そのうちシズカの様子がおかしいことに気づいた星彦は、ツイッターを使って問い詰める。するとシズカは徐々に理由を話し始めた。

 

登場人物

結城星彦…片思いに悩む、関東の地方都市出身の大学生。印象が薄く、好きな女性に存在を知られていなかったことに大きなショックを受けている。

シズカ…星彦が片思いをしている女性。穏やかだが感情がわかりにくく、付き合いにくい。

理人…星彦の親友。六本木で生まれ育ったおしゃれ男子。

愛梨…理人の彼女。ぽっちゃり体型が悩みで、食べることが大好きなのに我慢の日々である。

巧…教職の授業で同じグループになった、熱血教師を目指す一途な野球青年。

田島…岩手出身の純朴で心優しい詩をこよなく愛する男。シズカが想いを寄せている疑惑がある。

 

その8

  今年は六月始めから、梅雨入りしたかのように曇りと雨が一日の中で交互にやってきて、六月に太陽を見たのは数回だった。七月に入ってからは、完全に雨が降らなかった日はまだない。
  小さい頃に七月に雨がこれほど続いた記憶はなく、家の周りで夜空に輝く星を見渡す機会は多くなかったとは言え、母親の実家では満天の星を眺めることができたものだ。だから七夕は単なる行事となっている大学近辺に住む子どもたちよりは、自然を感受する機会が多い子ども時代を過ごせたように思う。
  俺は先月から、大学の近くにある公立小学校に通う児童たちと、週末に公園で遊ぶボランティアサークルに入った。教師を志望する学生にとっては、就活の加算点になる単なるボランティア活動より重みがある、むしろインターンに近い活動だ。
  都会の、特に教育熱心な親が多いこの地域の子どもたちは、実に小綺麗で、躾が行き届いて、お利口さんで扱い易い。元気さも程よく、適度に子どもらしい。俺の子どもの時みたいに、あまりに訳知らずな我が子の行動に泣き出す母親や、大人が苦笑するほどませた物言いをする子どもを目にすることはほとんどない。皆、親が子の心配をすることを忘れてしまうのではないかと危惧するほどに無難に、小学生らしく振る舞っている。
  かく言う俺も附属にいたのだから、この子たちと大差はない。よい子を演じて大きくなった人間に世話をされる、よい子を演じる子どもたち。茶番であるか。いや、この子たちの中にも真実は必ずある。演じることができる賢さを持つ子どもなら、きっと自分の居場所を自分で見つけられるはずだ。
  目一杯体を使って子どもたちと一日遊ぶと、心の汚れが拭き取られたように澄んだ気持ちになる。やはり子どもはいい。毎日一緒に過ごしても嫌にならないくらいだ。可愛げのない中学生や、脳が死んでるかまたは学歴で完全に俺をバカにして、上から見下した態度をとる高校生と毎日過ごすことを想像すると、暗闇しか見えてこない。いっそ思い切り方向転換して小学校の教師にでもなるか。
 活動を終えて浄化された心で夜道を歩いていると、小さな空に弱々しく光る星を久しぶりに見つけて、これからの進路のことを考えた。もうすぐ誕生日だな。やっと成人か。酒もタバコももうやってるから、これと言って変わることはないな。選挙も別に興味ないし。だけど、将来の仕事のことくらいは真剣に考えなきゃ。おばあちゃんからもらったお年玉のぽち袋の中に入っていた「人生一度きり」という力強い言葉が俺の気持ちを逸らせる。ただ年齢が増えただけの一生で終わらせたくはない。

 「誕生日おめでとう」
  俺の誕生日、日付が変わってすぐにラインで言葉を送ってきたのは理人だった。男にもこうだから、女にモテないわけはない。
  「ありがとう。忘れられてるかと思った」
  「あんだけ誕生日アピールされて無視できるほど強気で生きてないよ」
  「どうもどうも」
  「明日のパーティー楽しみにしてて」
  「うん。ありがとう!」
  今日のために俺はオープンにしたツイッターとインスタで毎日お知らせを欠かさなかった。
 『七月六日は結城星彦くんの誕生日』
  このフレーズが常に頭に浮かぶように、俺は様々な言葉や写真を使って刷り込み作業を行った。これも一種のサブリミナル効果詐欺なのかもしれない。いや、詐欺ではないな。危機管理だ。教師の危機管理で大事なのは、常に忘れものをする生徒には何度も伝達することだ。課題提出程度なら成績を下げればいいが、行事関連の「忘れ」は教師の業務能力を問われることにもなりかねない。俺は良い教師になれそうだ。シズカみたいなぼんやりした子にもきちんと救いの手を差し伸べる、慈悲深い教師として評判になるだろう。
  学校に行くと、理人みたいに心の琴線に触れる祝福を与えてはくれないにしても、会った時に「おめでとう」と言われたり、適当な時間に、ラインの誕生日お知らせ機能で知った俺の誕生日を祝う、適当な言葉を送られたりした。なかなか嬉しいものだ。程度の差はあっても、俺の誕生日を祝ってくれるということは、俺が今存在していることを肯定してくれているということなのだから。
 教職後の遅い昼食に、誕生祝にもらった食券で買ったチキン南蛮定食を食べながら、次の課題についてだらだらと三人で話をした。話が進まなくて、怠惰な空気を変えたかったのか、おもむろに巧はサークルの勧誘をしてきた。
 「ねぇねぇ。やっぱ、『教師になろう会』に入ろうよ。その方が絶対いいって。勉強になるよ~」
 巧は教員採用試験を受験する学生たちが集まるサークルに所属していて、先輩からの情報を豊富に持っていた。俺と理人はこのサークルに入るのを事あるごとに勧誘されている。
 「うん。でもまだ『天神子ども会』に入ったばっかだし、バイトも変えたいしね」
 俺はあまり気乗りがしないので、曖昧に入会を避けていた。
 「俺もおんなじ。バイト、慢性的に忙しいし」
 理人は、このサークルのあまりに現実的な活動内容に拒絶反応を覚えるようで、俺と一緒に入った『天神子ども会』とバイトの忙しさを理由にやんわりと断り続けていた。確かに理人は霞を食って生きている男だ。教員採用試験問題の傾向と対策を学び、試験官に受ける面接ができるように鍛練すること自体無理だし、必要とも思っていないはずだ。彼はそんなサークルには絶対入らない。
  巧のように、現実を見据えて生きていくのは立派なことだ。だけど目の前の現実しか見えない人間に、末永き佳き人生が待っているとは思えない。遊びのある生き方。それこそが知性の表れなのだ。俺は今、豊かな人生の入口にいる。何よりも優先したい事がある。それはシズカとの絆をつないでいくことだ。一年がかりで手に入れた宝物を誰からも奪われることなく、俺の側に携えていくのはかなり難しそうだ。周りは敵ばかりだし、シズカすら曲者だから、この恋の命は短いように思えてならないのだ。いや、気弱になる必要はない。俺は地獄に堕ちた勇者なのだから。誰も俺の右に出るものはない。
 ブッとスマホが鳴った。今日33人目の誕生祝ラインだろう。返事は定型文を送るだけだが、そのファイブクリックすら面倒臭くなってきた。チキンにタルタルソースをまんべんなく塗り広げると、かぶりつきながらワンクリックした。俺はチキンが喉につまりそうになるほど驚き、ツークリック目は無くなってしまった。シズカからのラインだった。
  「結城くん、お誕生日おめでとう。二十歳になったんだから、もっと自分を大切にしてね。お酒とたばこはほどほどに」
  俺はシズカがくれた愛情溢れた言葉に感動して、チキンを飲み込むことができず、ただただ緩い咀嚼を繰り返していた。異変に気づいた理人は「どしたの?」と俺に声を掛けたが、察しがついたようで、巧から彼の得意とする課題についての前向きな意見を引き出そうとしてくれていた。
  いくら俺でもすぐにシズカに返事はしようと思った。肝腎な時に決める。それが俺のスタイルだ。
 「ありがとう。たばこは吸い過ぎに気をつけたいね。」
  返信すると汗がどっと吹き出して、ハンカチで何度となく額を押さえた。
  「だよね、星彦」
  熱弁を奮っていたらしい巧は、急に俺に会話をふってきた。全く話が見えない俺は、さも聞いていたように落ち着いた声で「そうそう」と答えた。会話に不自然な流れは無く、巧は上機嫌で続きを話始めた。理人は実に繊細で気の利いた男で、俺を別空間に置いておくために、巧と絶妙なやり取りを続けてくれていた。
  それからまた、ちょっとだけシズカから優しい言葉が贈られてきて、汗が本格的に止まらなくなってきた。俺は巧に悟られないように、まずは落ち着こうと返信を少し先伸ばしにした。

第二部インストーカー7

あらすじ
  シズカと交流することに何とか成功した星彦は、直に話すことができないため、SNSで交際しようと目論む。だが道のりは程遠く、一進一退を繰り返す日々だ。そのうちシズカの様子がおかしいことに気づいた星彦は、ツイッターを使って問い詰める。するとシズカは徐々に理由を話し始めた。

 

登場人物

結城星彦…片思いに悩む、関東の地方都市出身の大学生。印象が薄く、好きな女性に存在を知られていなかったことに大きなショックを受けている。

シズカ…星彦が片思いをしている女性。穏やかだが感情がわかりにくく、付き合いにくい。

理人…星彦の親友。六本木で生まれ育ったおしゃれ男子。

愛梨…理人の彼女。ぽっちゃり体型が悩みで、食べることが大好きなのに我慢の日々である。

巧…教職の授業で同じグループになった、熱血教師を目指す一途な野球青年。

田島…岩手出身の純朴で心優しい詩をこよなく愛する男。シズカが想いを寄せている疑惑がある。

 

その7

   今週から今期の授業が本格的に始まった。セメスタ制でなきゃ二回分の授業は無駄にならないのに、大学もまた何でこんな制度を採用したのか。しかも二学年下から、全ての学部が学期制になったというから、腹が立つやら呆れるやら。必要のない制度ばかりとっかえひっかえ押し付けてきて、苦労するのは児童・生徒や学生ばかり。文科省始め教育関係の大人たちは揃いも揃って馬鹿しかいない。
 これからの人生が思いやられるが、俺にとってセメスタ制は悪いことばかりではなかった。仲間たちの情報を駆使して、シズカと同じ授業で自分の都合と合うものを三つ探し出すことができたのだ。それと教職で必須のものが二つ。去年は語学とゼミが同じだった上に、選択授業も驚くほど被っていた。それに比べると今期はかなり少なくなってしまった。
 外国語はお互い得意な英語と中国語に分かれた。まぁ、内気なシズカに中国語は無理だろう。試験ではとにかく思い切り良く、大きな声を出さないと単位はもらえない。
  ゼミでシズカが希望していた平安文学をわざと外したのは、このゼミは希望者が多くて俺は外されるだろうと予想したからだ。ミポリンに敵視されているんだから、仕方ない。妄想おばさんは、俺のことをシズカの勉強の邪魔をする毒男だと思っているらしい。笑える。
 去年の登録の時期に、シズカからメールでゼミは決まったのかと聞かれた。そのメールに俺は堂々とこう返信したものだ。
  「まだ決定してないけど、山路ゼミは怠け者気質の知り合いたちが、楽目当てでなだれ込んだから、倦厭してるんだよね」
  せっかく平安文学ゼミの面子の悪さを教えてあげたのに、シズカは迷うことなくそのゼミに収まった。

  「日本の美術」は予習もいらないし、課題もない。その上先生は美人でやさしい。俺は先週と同じ席で、少し遅れると連絡してきた理人をのんびりとした気持ちで待っていた。  シズカは一人なら嫌がらせのように席を変えるかもしれないが、友達が席取り係をしているようなので、勝手はできないはずだ。しばらくすると、シズカの友だちが来て、先週と同じく俺の前の前の席に座った。よっしゃ。これで席は決定した。安堵すると鼻歌を歌う気分でシズカを待った。しかし、待てど暮らせどシズカは来ない。そのうちに「あれぇ、この授業取ってたんだ。隣いいかな」と言ってシズカの友だちに近寄ってくる女子が現れた。
 「そこはシズカの席だからダメ」
  危うく飛び出しそうになった言葉を理性で飲み込んだ時、俺は奇妙な言葉を聞いた。
    「いいよ。私一人だから。良かった、仲間がいて」
  ぼんやりと考えた。この子、先週のシズカの友だちと違う子だったんだな。髪型とか雰囲気が似てて間違えたんだな。あの子どこに座ってるのかな。俺は辺りを見回したが、よく知らない子だから探しようもない。間もなく先生が現れたが、シズカを確認することができなかった。
 十分ほど遅刻で理人がやって来たが、「すまん、電車…」と言いかけて止めてしまった。シズカが前の前の席にいなくて、俺の顔がこわばっていたので、一瞬で状況を理解したようだ。ただ理人と俺は状況把握が少し違っていたようだ。

    決定打は授業が終わってすぐにやってきた。
  「ほんと良かった。先週まで一緒にいた子、急にキャンセルしちゃってさぁ」
  「まじ?教室広いから偶然出会えてラッキーだったよ」
  「うん。先生優しいけど、テストはぼっちだと心細いしね」
  「そうそう」
    シズカの友だちとその連れの二人は、手をつないでスキップする小学生のように、軽やかな足取りで笑い合って去って行った。
  シズカは「日本の美術」をキャンセルした。セメスタ制だからキャンセルは当然ある。皆、より良い授業にありつくために必死だからな。たくさん申し込んで次々キャンセルするのが、スムーズな卒業への第一歩…。違うだろ! この授業をキャンセルするアホがどこにいるんというのだ。前回と同じどころかかなり学生は増えていた。当たり前だ。どんな授業よりも優先されるべきと断言できるほど、俺たち学生にとって都合が良かった。
 まず、出席は山路先生と同じように番号を一日中解放、即ちその日中に先生に番号を送ればいい。水野さんのように一度も出席しなくても、番号を教えてくれる協力者さえいれば、出席はクリアできる。テストはもう決まっていて、絵巻物の歴史についてレポートを千字以上。最悪ウィキペディアを丸写しすればいいのだから、来年からは希望者が殺到すること間違いなしだ。
 それにも増して、シズカの最も得意分野であり、レポートはものの三分で出来上がるだろう。質のいい資料のありかなど、お見通しだからな。成績は確実にSをゲットできる。
  喉から手がでるほど欲しいスーパー楽単を、シズカはボロ布のように捨てた。理由はただ一つ。俺がいるからだ。他に理由は何一つ見つからなかった。どんな有能な弁護士でも、この理由以上に説得力があるものを見つけ出すのは不可能だろう。
    理人は何もなかったかのように無言で、俺の隣を歩いていた。本当に何もないのだと決めているように、理人の美しい横顔には動きがなかった。俺のために怒ってくれているのだなと思った。次の授業の教室で、愛梨は千夏たちと話していたが、俺らを見つけて無邪気な笑顔を見せた。愛梨の笑顔が涙でぼやけた。

 

第二部インストーカー6

あらすじ
  シズカと交流することに何とか成功した星彦は、直に話すことができないため、SNSで交際しようと目論む。だが道のりは程遠く、一進一退を繰り返す日々だ。そのうちシズカの様子がおかしいことに気づいた星彦は、ツイッターを使って問い詰める。するとシズカは徐々に理由を話し始めた。

 

登場人物

結城星彦…片思いに悩む、関東の地方都市出身の大学生。印象が薄く、好きな女性に存在を知られていなかったことに大きなショックを受けている。

シズカ…星彦が片思いをしている女性。穏やかだが感情がわかりにくく、付き合いにくい。

理人…星彦の親友。六本木で生まれ育ったおしゃれ男子。

愛梨…理人の彼女。ぽっちゃり体型が悩みで、食べることが大好きなのに我慢の日々である。

巧…教職の授業で同じグループになった、熱血教師を目指す一途な野球青年。

田島…岩手出身の純朴で心優しい詩をこよなく愛する男。シズカが想いを寄せている疑惑がある。

 

その6

 春爛漫のこの季節。日本人は皆眠い。厳しい寒さから解放されて、身も心も緩むせいか。それとも、桜の魅惑のせいで脳みそが酔わされてしまうからか。
  俺も日本人として二十年近く生きてきたから、当たり前に日中眠気が襲う。そして高校生時代までは、夜にも健全に睡魔が来ていた。
 ところが大学に入ってから異変が起きている。それは夜に限って目が冴えてきて、外が明るくなる頃まで全く眠れないのだ。おかしい。さすがにこの時期、布団に入ればスイッチが入ったように瞬時で寝てしまえたのに。あまりの眠気の感じなさに、俺は布団の中で、自分はもう永久に眠らなくてもいい人間に変わってしまったのではないかと考えた。

 まだ午前4時。しっかり朝ご飯を食べて、身支度をして、始発に乗って学校に行く。早朝の図書館で英語と中国語の予習をする。教育系授業の課題も出ていたから、さくっとやってしまう。
 ゼミの先生は、平安時代の随筆を専門としている性格がきつい30代既婚女性で、仮名文字を熱心に研究している。だから仮名文字を読めない人間は、古典文学などに興味を持つべきでないと考えている。かなりストイックだ。そして、学生に一切興味を示さず、自分の価値観に合わない学生に単位を与えないという暴力を振るう。だから俺はこの不思議なパワーを得たのをチャンスに、仮名文字の学習にも励むのだ。
 一段落すると、ちょうど一限の英語の時間が来る。授業は予習のお陰で、小学生の授業のように簡単だ。成績はS間違いなし。
 沢山の授業をハイパワーで受けて、夕方から居酒屋バイト。バイトとは思えない能力で働くため、店長から卒業後の就職を強く勧誘される。威張り腐った無能正職員も、俺には丁重だ。
 バイトを終えると、今日一日の心身の汚れをきれいさっぱり洗い流し、ベッドでパソコンを使ったネット活動に集中。合間にスマホで、シズカとしっとりと夜の会話を楽しむ。俺の体を気遣い、名残惜しそうにお休みの挨拶をするシズカ。
 だが俺は24時間活動する人間だから、朝の四時までネット動画を堪能するのだ。そして気力みなぎる朝を迎える。

 しかし、現実は哀しいものだ。俺は鳥の鳴き声が聞こえてきて、いっそ起きてしまおうかどうしようか、と迷っているうちに必ず寝てしまっていて、気がつくと昼の二時を回っているのだ。一度六時に起きたのでホッとしたのも束の間、それは夕方の六時だった。大事な英語を休んでしまい頭を抱えた。
    俺の不眠症は本格的に深刻さを増し、医者か大学の心の相談室に行くことも考え始めた。だけど自分で原因がわかっているのだから、専門家に頼ったところで結局、金と時間が無駄に消費されるだけのようにも思える。薬漬けになんてなろうものなら、ああ、ぞっとする。そしてまた眠れぬ夜が来るのだ。

    桜が満開になった。今日は天気が良く、青い空に桜はさぞ美しく映えることだろう。と考えながら俺は起き抜けの姿でレースのカーテン越しに外をぼんやり眺めていた。すると手の中にあるスマホがバイブした。
  「千里坂にリオくんがいる」
  ラインの送り主はシズカだった。千里坂ってどこ?リオくんって超イケメン俳優の朝田理生のこと?

    ぼんやりした頭はシズカのラインをしても覚醒しない。体は本格的に昼夜逆転の状態に陥っているようだ。
  「ちさと坂ってどこ?」
  俺は何の工夫もない返答をした。しばらくして返信が来た。
  「せんり坂だよ。学校の近くの。リオくんが桜の下でドラマのロケしてる」
    あっ、「ちさと坂」じゃなくて「せんり坂」なんだ。さすが教師志望。しっかりと間違いを直してくるのは良い心掛けだ。
 千里坂は桜の名所らしいが、俺は目黒川にしか行かない。でもロケに使うくらいだから、かなりいい感じのところなのだろう。理人と愛梨を誘って、今日明日にでも行ってみるか。
 また会話が入った。
  「リオくん、超イケメン!!!!」
    はぁ?どんだけビックリマーク付けてんだ。ハートまで付けやがって。ハート付けるのはイケメンアイドルにだけか。俺は返信しなかった。しばらくして、シズカからご機嫌を伺うような言葉がきた。
  「今、学校?」
  さすがにスルーできず「家だよ」と答えた。
 「今日休みなの?」
 「四限にあるよ。もう間に合わないけど」

 自分に甘え、人に甘えた、どうしようもなくクズっぽいこの言葉に俺は酔った。シズカから来た便りは、ひとひらの桜の花びらように俺を優しく包んだのだのだ。だから俺は幼子のように柔らかく、柔らかくなってしまった。
  「まだ間に合うよ。早く行かないとだめだよ」
 ああっ、愛のムチが来た! これがたまらないのだ。シズカに執着するのは、もしかしたらこれを求めているからかもしれない。俺の周りにいる女子たちは、俺を叱ることは決してしない。他の男子にはしても、俺にはしない。そして俺も彼女たちにそれをすることを許してはいない。

    俺は返信の言葉は書かず、スタンプだけを送った。お気に入りの、卵に足を生やしたほのぼのとしたキャラが、背中でゴロゴロと回るやつだ。「やだやだ」というセリフ付きである。シズカはクスッと笑って呆れるだろう。そして心の距離は一気に縮まる。
    二回目の授業までは受講をキャンセルできるから、今日の四限目の授業は出欠は取らないだろう。しかし俺は今日は授業に出る。なぜならシズカと同じ授業だからだ。シズカはまだ俺がこの授業を取ることを知らない。一回目の授業に出ていないから当然だ。理人が先週この授業に出ていて、出席にあまりうるさくなく試験は簡単なレポートで済む、かなりお得な授業であることを知らされていた。そしてシズカがいたことも。俺たちはこうやって情報を共有しながら、もっとも心と体にお優しい授業を探しだしている。
    楽単でシズカがいる授業を取らないバカがどこにいる。俺は昨日考えておいた、桜によく合う、薄い柄が入った白シャツと紺色のパンツを手早く着ると、ジャケットを掴んで部屋を出た。
    教室前で理人と落ち合い、適当に席に着いた。割と大きめの教室なので、席選びも楽チンだ。シズカはまだ来ていないようだ。バイトで疲れている理人は俺の付き合いで出席したので、席に着くなり寝てしまった。俺はドアから人が入るたびに確認していたが、始業間近になりやっとシズカが現れた。
  「シズカ」
  俺の前の前の女子が手を振っている。まじか。近いな。この子シズカの友達だったんだ。シズカは手を振ると、微笑みながらこちらに向かってきた。
    やがて俺と目が合うと、シズカは立ち止まった。そして、何で?と咎めた。何でいるのと。俺のときめきの感情は一瞬で暗雲に覆われた。だが俺も怯まない。何が? 自分といたいから、この授業に追いかけてきたとでも思った?
    俺がいつになく冷たい表情をしたからか、シズカはちょっと怯えたような顔をした。そしてすぐに優しい笑みに作り替えると、「ごめん、遅くなって。さっきランチしてた店の前で、リオくんがロケしててさ」といつになく饒舌に千里坂での出来事を隣の女子に話し始めた。何も知らずに理人は先生が来るまで熟睡していた。
    今日は思いもよらない幸運が待っていたのだ。こんな近くで一時間半もシズカを見ていられるとは。板書してくれたら、久しぶりに後ろ姿をカメラにおさめることもできるし、来週からは授業を取る学生だけになるから、この席は固定になってもおかしくない。席選びが成功した嬉しさで、まさに桜の満開気分である。
    授業は日本の美術について、日本文学を絡めながら時代を追って進行していくようだ。源氏絵も専門分野である先生のこの講義は、シズカにとっておそらく楽単中の楽単となるだろう。今年から始まった講義だからか、抽選になるほどの学生は集まっていない。良い授業をゲットできた。  押しの強いおばさん教授の威圧的な声の講義にうんざりしていた俺は、美しい顔から発する若々しく優しげな先生の声を聞きながら、今日理人たちと千里坂で過ごす、楽しい時間のことを考えた。よい日になりそうだ。
 
    今週から今期の授業が本格的に始まった。セメスタ制でなきゃ二回分の授業は無駄にならないのに、大学もまた何でこんな制度を採用したのか。しかも二学年下から、全ての学部が学期制になったというから、腹が立つやら呆れるやら。必要のない制度ばかりとっかえひっかえ押し付けてきて、苦労するのは児童・生徒や学生ばかり。文科省始め教育関係の大人たちは揃いも揃って馬鹿しかいない。先が思いやられるが、俺にとってセメスタ制は悪いことばかりではない。
    仲間たちの情報を駆使して、シズカと同じ授業で自分の都合と合うものは二つ探し出すことができた。あと、教職で必須のものが二つ。去年は語学とゼミが同じだった上に、選択授業も驚くほど被っていた。それに比べると今期はかなり少なくなった。
 外国語はお互い得意な英語と中国語に分かれた。まぁ、内気なシズカに中国語は無理だ。とにかく思い切り良く、大声で話さないと単位はもらえないのだから。
  ゼミはシズカが希望していた平安文学をわざと外した。このゼミは希望者が多いから、俺は外されるだろうと考えたからだ。ミポリンに敵視されているんだから、仕方ない。妄想おばさんは、俺のことをシズカの邪魔をする毒男だと思っているらしい。笑える。
 去年の登録の時期に、シズカからメールでゼミは決まったのかと聞かれた。そのメールに俺は堂々とこう返信したものだ。
  「まだ決定してないけど、山路ゼミは怠け者気質の知り合いたちが、楽目当てでなだれ込んだから、倦厭してるんだよね」
  せっかく平安文学ゼミの面子の悪さを教えてあげたのに、シズカは迷うことなくそのゼミに収まった。
    だからシズカと過ごせる貴重な時間を大切にしなければならない。俺は今日、自分が好きな渋カジ系は避けて、先週と同じようにトラッド風に身を整えてきた。
 「日本の美術」は予習もいらないし、課題もない。その上先生は美人でやさしい。俺は先週と同じ席で、少し遅れると連絡してきた理人をのんびりとした気持ちで待っていた。
  シズカは一人なら嫌がらせのように席を変えるかもしれないが、友達が席取り係をしているようなので、勝手はできないはずだ。しばらくすると、シズカの友だちが来て、先週と同じく俺の前の前の席に座った。よっしゃ。これで席は決定した。安堵すると鼻歌を歌う気分でシズカを待った。しかし、待てど暮らせどシズカは来ない。そのうちに「あれぇ、この授業取ってたんだ。隣いいかな」と言ってシズカの友だちに近寄ってくる女子が現れた。
  「そこはシズカの席だからダメ」
  危うく飛び出しそうになった言葉を理性で飲み込んだ時、俺は奇妙な言葉を聞いた。
  「いいよ。私一人だから。良かった、仲間がいて」
    ぼんやりと考えた。この子、先週のシズカの友だちと違う子だったんだな。髪型とか雰囲気が似てて間違えたんだな。あの子どこに座ってるのかな。俺は辺りを見回したが、よく知らない子だから探しようもなかった。間もなく先生が現れたが、シズカを確認することができなかった。
 十分ほど遅刻で理人がやって来たが、「すまん、電車…」と言いかけて止めてしまった。シズカが前の前の席にいなくて、俺の顔がこわばっていたので、一瞬で状況を理解したようだ。ただ理人と俺は状況把握が少し違っていたようだ。
    決定打は授業が終わってすぐにやってきた。

第二部インストーカー5

あらすじ
  シズカと交流することに何とか成功した星彦は、直に話すことができないため、SNSで交際しようと目論む。だが道のりは程遠く、一進一退を繰り返す日々だ。そのうちシズカの様子がおかしいことに気づいた星彦は、ツイッターを使って問い詰める。するとシズカは徐々に理由を話し始めた。

 

登場人物

結城星彦…片思いに悩む、関東の地方都市出身の大学生。印象が薄く、好きな女性に存在を知られていなかったことに大きなショックを受けている。

シズカ…星彦が片思いをしている女性。穏やかだが感情がわかりにくく、付き合いにくい。

理人…星彦の親友。六本木で生まれ育ったおしゃれ男子。

愛梨…理人の彼女。ぽっちゃり体型が悩みで、食べることが大好きなのに我慢の日々である。

巧…教職の授業で同じグループになった、熱血教師を目指す一途な野球青年。

田島…岩手出身の純朴で心優しい詩をこよなく愛する男。シズカが想いを寄せている疑惑がある。

 

その5

 食堂の賑やかさは物々しさに変わった。と言うのも、今年度から学部が一つ新設されて、学生が大幅に増えたのだ。学食は一つ増えるべきなのに、大学は何を考えているのか一つ減らしてしまった。無くなった食堂は俺のお気に入りだったのに残念だ。
  学生で溢れかえった一号館食堂にたむろする後輩達もまた、JLAとそっくりな集団を作っていた。SNSで呼びかけて入学前に関係が出来上がっている。ボスが決まるとグループはどんどん細分化されていくだろう。最後まで残ったメンバーが、学科最高位のカーストを獲得する。そんな後輩たちのお陰で、一号館食堂はもはや大宴会場なみのどんちゃん騒ぎだ。JLAは先輩風を吹かして落ち着いたものだし、雅貴も千夏もいなくなった俺達のグループは、一号館で集う必要性はもはや薄れてしまっていた。
 教職のせいで授業は相変わらず多いが、去年の落単は二つに抑えられたので、他のやつらよりは随分ましな方だ。理人に至っては、言語学や文学系科目もさることながら、語学を四つ全部落としてしまっていた。英語は俺のに比べたら、幼稚園レベルの授業なのにと思う。理人は英語の基礎があまりできていないのかもしれないが、授業内容は簡単なのだから、要は出席さえすればいいのだ。それなのにやれバイトだ、愛梨と旅行だ、二日酔いで起きることができないなど、呆れるような理由ばかりで授業を休んでいた。このままじゃ、教職どころか卒業も無理になるかも知れない。
    今日は三限の教職科目を理人と受けて、その後の空きコマに遅い昼食を取ることになっている。教職で同じグループの巧も一緒だ。巧は中高と野球をしていて、童夢や田島と同じマイルド系の野球サークルに入っている。三人とも、今更ガチ野球は嫌だと言っているが、巧はこのサークルにいるくせに真剣に野球をしていた。中学で野球部の監督をするのが夢らしい。部活の顧問をしない俺とは世界観が異なるやつだが、ヤンキー故の正義感には目を見張るものがあり、その仲間意識の高さから情報量も豊富だ。教職仲間として悪くはない。
  三限の教職の授業ではグループで課題をやることになっていて、俺は理人、巧とグループを組んでいるから、授業の後に飯を食いながら三人で話し合いをするようになった。
  「校外学習の計画って面倒くさくね?」
  「ごまかしが効く分却って楽だよ」
  「確かに。授業案なんかややこし過ぎて、頭おかしくなりそうだもんな」
  「三年で国語科教育の授業あるけど、模擬授業があるらしいよ。俺、模擬すらやる自信ないわ」
  「模擬は模擬じゃん。でかい声で金八先生の真似するだけで良いんだよ」
  「天は人の上に人を作らず。だっけ?」
  「ちげーだろ。それは諭吉さん。人という字は人と人とが支え合いだよ」
  「それそれ!右側の短い人、一方的に支え役でかわいそうって突っ込み流行ってた」
  「あったあった。なつかしいな」
  ゲラゲラ笑って、話は脱線するばかりだ。腹も膨れてちょうど眠くなる時間帯でもあり、今一つ身が入らない打合せをしていると俺にメールが来た。何とシズカからラインのIDのお知らせではないか! 俺は喜びで顔を赤くしていたので、すぐに理人と巧にバレてしまった。
  「どうかした?」
  言うなり理人はスマホを奪った。
  「あっ、ちょっと!」
  慌てて取り返そうとしたが、理人はシズカのメールを声に出して読み始めた。そして「招待しろ」と言って俺にスマホを差し出した。
  「わかってるって」
  ずるずると行動を引き伸ばそうとしているのがバレて引っ込みがつかなくなった俺は、仏頂面でシズカのラインIDを登録した。何につけ、後回しにしている間は憂鬱な気分も背負っていることになるから、いっそ「えいやっ!」とやってしまった方が楽なものだ。だけどシズカとの交流においては、「間」の存在が愛おしかった。何も発生しない空白時間に起こり得る喜び、落胆、希望、不安は空に輝く星のように現れ消える。星の輝きをいかに長く美しく保たせるかは、俺次第だ。空白時間はシズカを怒らせ悲しみを呼び起こす。俺はそれを思うだけで脈が早くなる。究極の恋だ。
  「おい、何か送れよ」
  また理人が指図した。やだ!ラインはまだ送りたくない。もっともっとシズカをじらしたいんだ。放っといてくれ!
  「言葉が無理ならスタンプだけでも送ったら?」
  巧は、生徒の気持ちが全く理解できない熱血教師みたいなことを言う。それには答えず、俺はスマホをポケットにしまい込んだ。二人は呆れ顔をしたが、スルーしてくれた。
  次の週にまた三人で食堂で飯を食っていると、巧に「英さんとライン、毎日してるの?」と聞かれた。不意打ちだったので、俺はとっさにかわすことができず、口ごもってしまった。
  「お前、まさかライン送ってないの!?」
  理人の大きな声のせいで、後ろめたさは開き直りに変わった。ふん、勝手でしょ。俺とシズカの間に入って来ないで。
  「貸してっ」
  理人は俺からスマホを奪い取るとラインスタンプを選んで、これでいいよね、と俺に確認した。それは無料のスタンプで、かわいいと言えばかわいいが、どう見ても気持ち悪さが拭いきれない、俗に言うキモカワイイ系のスタンプだった。卵から細長い足が伸びていて、卵の顔は無表情ながらどこか人を癒やす雰囲気を持っていた。悪くはない。オタク臭は強いものの、善であり、正であり、誠のあるキャラクターで、シズカが好きそうなスタンプだった。それにしても、理人はシズカについてよく心得ているものだ、と又もや負の感情が沸き起こってきた。
  「何これ!キモくね?」
  笑いながら巧が叫んだ。だがシズカはこのスタンプで俺に好感を持つはずだ。理人の経験値の高さやシズカとの相性の良さの為せる技であり、巧には到底理解できないだろう。俺は沽券に関わると思って「止めろ」とは言ったものの、抑止力につながる力強さは全く無かった。理人も真顔になり「いいよね?」と威圧してくる。俺が「止めて」と弱々しく言ったのと同時に、理人はラインの送信ボタンを押した。スタンプの言葉は「よろしく」でも「遅くなってごめん」でもなく「ハ~イ」だった。巧は大笑いしていたが、理人は割とクールな表情で俺にスマホを返してきた。
  「あ~あ。何してくれるんだよ」
  俺は大袈裟に言い放ち不機嫌なふりをしたからか、巧が「ドンマイ」と言って肩を叩いた。方向違いではあるが、心根はいい奴なのだろう。理人は知らん顔で愛梨のラインに返事をしている。
 俺が諦観していると、間もなくシズカからラインが来た。
  「今日の教職の課題のテーマは決まった?うちのグループは福野さんが仕切って何とか決まったけど、これからが大変そう。」
  もはや職場用のスマホみたいな存在になった俺のスマホは、食堂のテーブルの真ん中に置かれていて、シズカからのメールを三人で当たり前のように読み、俺ですらそのことに違和感を感じていなかった。
  「どうしよう」
  「返事したら?」
  「何て?」
  「自分で考えろ」
  「一緒に考えて」
  「何でもいいじゃん。向こうのラインに機械的に合わせたら?」
  俺は理人の声に素直に従った。
  「テーマはまだ決まってないよ。俺のグループはリーダーはいなくて、みんなで話し合うって感じかな。」
  入力された文章を見た理人は、えらく弱々しいなぁ、と苦笑いした。巧は、いつものユウキとキャラが違う、と訝っている。
  「ダメだったら違うの送るけど」
  「いや、大丈夫」
  言うなり理人は送信ボタンを押した。画面に俺の言葉が表示され、とうとうラインで会話してしまったという感動が押し寄せてきた。理人と巧の声、食堂のざわめきや物音は仕切られた別の空間の物に感じ、俺にはシズカがくれた「言葉」を持っているスマホだけが現実だった。
 すぐにシズカからラインが来た。
 「お互い頑張ろうね。一年間よろしく!」 おおっ、来た来た、と皆でスマホを奪い合いながらラインを読んだ。英さんて真面目だよね、と巧が誉めると、先生みたいでお仕事モードだな、と理人は揶揄する。
 俺は、俺とシズカの会話に二人が介入して、コメントを一々入れてくるのを一旦終わらせようと思った。別に怒ってるわけではない。むしろ理人に見せ付けたかったし、俺を小馬鹿にしていた巧を見返すことができる。でも三人でラインを共有してることがシズカにバレたら面倒だ。シズカは会話の調子からすぐに、誰かが介入していることを察知するのだ。それを知ったらさぞかし怒るだろう。
 「はいはい。お終い、お終い」
 俺はにこやかにそう言うと、スマホをポケットに滑り込ませた。「ケチ!」と巧が拗ねて「よろしく返し、しなよ」と理人がお節介をやく。俺は「うん、後でね」と口先だけの返事をした。理人が言うようによろしく返しなど送ろうものなら、シズカからは数ヶ月、下手すると一生ラインは来ないだろう。そんなものを送れば「あ~終わった終わった。もうラインしなくてもいいよね。話することも無いし。お疲れ様~」てな調子でさっさと俺から気持ちが離れていくのだ。俺が察しの良い男であってはいけない。これじゃ麗先生の時の二の舞になってしまう。よく似た姿をした女にまた同じ形で振られるなんて、バカの極みだ。猿でさえ学習するんだから。俺はしたい時にだけ返事をすればいいし、したくない返事はする必要は無し。
 とは言っても俺はその日、微熱があるようなぼんやりとした高揚感の中にいた。苛立ちや怒りのような負の感情は一切湧かなかったが、ふざけていても笑っていてもそれは体からわき起こったものでなく、いかに他人に気分がハイであることを表現できているか冷静に見ている自分がいた。俺は次にシズカからどんな言葉が送られてくるか、それだけを楽しみに時間を過ごしていた。

第二部インストーカー4

あらすじ
  シズカと交流することに何とか成功した星彦は、直に話すことができないため、SNSで交際しようと目論む。だが道のりは程遠く、一進一退を繰り返す日々だ。そのうちシズカの様子がおかしいことに気づいた星彦は、ツイッターを使って問い詰める。するとシズカは徐々に理由を話し始めた。

 

登場人物

結城星彦…片思いに悩む、関東の地方都市出身の大学生。印象が薄く、好きな女性に存在を知られていなかったことに大きなショックを受けている。

シズカ…星彦が片思いをしている女性。穏やかだが感情がわかりにくく、付き合いにくい。

理人…星彦の親友。六本木で生まれ育ったおしゃれ男子。

愛梨…理人の彼女。ぽっちゃり体型が悩みで、食べることが大好きなのに我慢の日々である。

巧…教職の授業で同じグループになった、熱血教師を目指す一途な野球青年。

田島…岩手出身の純朴で心優しい詩をこよなく愛する男。シズカが想いを寄せている疑惑がある。

 

その4

 スマホを傍らにシズカとの春休みを思い起こしていたら、一時間など簡単に過ぎてしまった。うどんは後十分ほどで寝かし終わる。ひとつ大人になって、今すぐこちらからメッセージを送るべきだろうか。 
 インスタグラムの桜は去年と同じ、太い幹に花開く一輪にした。
  「一年前と同じ気持ちで。」
  写真に添えた言葉は、新入生の時と同じ新鮮な気持ちで新学期を迎えたと表現しているのだが、本当はシズカに「俺は変わらず君を思い続けている」と言いたいのだ。俺のインスタがシズカへのメッセージなのは、依然変わっていない。それなのに一か月も連絡が来ないとは、ひどすぎないか。良い春休みはとっくに終わったのに、なぜ連絡をしないのだ。
 実は俺には一つ気になることがあった。どうも理人がツイッターでシズカと交流をしているようなのだ。もちろん二人はツイッターを交換していないから、エア交流ということになる。例えばこんな風だ。
 シズカから水族館に誘われた前の日に、理人は春の陽射しの中、赤ちゃんを抱っこしたりベビーカーに乗せたお母さんがたくさんいる、池袋の公園の写真を投稿していた。
  「春の陽気。赤ちゃん、お散歩楽しそう。」
  俺が事件を起こして以来、赤ちゃんみたいに交流ができなくなってしまったということを、理人は何度か呟いていた。これは俺を思ってのことだと思う。だけど理人はちょっと出過ぎているんじゃないか。散歩に誘ってあげてと言う必要があるだろうか。差し出がましい。百歩譲って、俺が赤ちゃんみたいな状態だから優しく見守ってあげてほしい、とだけ呟いて欲しかった。
  シズカはそこにつけ込んで、理人の要請に誠実に応えたのだ。愛梨という彼女がいる理人と正々堂々と付き合うことはできない。カーストが低すぎて友達にもなれない。だけど理人のメッセージに反応すれば、これは交流以外の何物でもない。男を奪い取るリスクもなく、ちょっと付き合う風味のことをして満足する。シズカは鰻の焼ける匂いで白飯を食べるせこい女に成り下がっているのだ。カニかまはカニではない。安いしカニアレルギー持ちでも食べられるお得で安全な食べ物だが、カニもどきであってカニではない。
 シズカには、恋愛もどきで満足するような下品な女になってほしくないと思っている。それに最も腹が立つのは、俺を通り越して二人が会話をしているということだ。シズカと理人は何の関係もない二人なのに、交流するのはおかしい。本来、会話どころか挨拶すらしない者同士なのだから。
  SNSは全く奇妙な世界だ。バカにとってネット社会ほど危険なものはない。現実と架空の違いもわからないバカが大勢いる。バカには強い刺激を与えるに限る。俺はツイッターに呟く、過激な言葉を探した。
  「うどん生地をめっちゃくちゃにこねて叩きつけてやった。」
  これでどうだ。これなら俺の気持ちがシズカに届くはずだ。シズカならきっとSOSをキャッチするだろう。

 さて、うどん生地もいい具合に寝かされた頃だから、次の作業に取りかかることにしよう。俺は冷えて艶々したずっしりとした玉を冷蔵庫から取り出して、打ち台代わりのテーブルの上にうやうやしく置いた。そして打ち粉を沢山敷いて、百均で買ってあった延べ棒で丁寧に延ばしていった。くっ付かないようにたっぷり打ち粉をするのがこつだ、と晃ちゃんがワンポイントアドバイスをしていたので、粉をかけ過ぎるくらいかけた。その思い切りの良さと手早さで、生地はうまく均等に延びた。やや早めに延ばすのを止めたから麺は太めだったが、俺は歯ごたえがある太麺は大好きなので、そのまま切り続けた。すっ、すっ、精神統一をして一心にうどんを切っていく。休まず一気に切り終えると、額に汗がにじんでいた。うどんは見事に均一な太さで切られていて、我ながら機械にも負けない出来だと思った。小さい時から器用と言われ、何でもそつなくこなす俺は、先生からは常に忘れられる存在だったが、卒業してから会うと君は優秀な子だったと言われる。不思議なもんだ。
  たっぷりのお湯で茹でて、タイミングを計って試し食いをした。すごい。うどん職人になれそうだ。丸川うどんと真剣に勝負できるぞと思った。冷水で締められたうどんはザルの中でキラキラ輝いていて愛おしい。温かいつゆをかけ、ねぎを散らすと星彦うどんができあがった。
 食べる前に写真を撮ってインスタにアップした。だしを憧れの京都風にしたので、お店で食べるうどんよりさっぱり味だ。汁が薄味かなと思ったが、シコシコした太い麺の旨さに感動しながら食べているうちに、だしの味わい深さを感じるようになってきた。そのまま一気にうどんをすすり続けて汁を全部飲み干すと、丼は正真正銘の空っぽになった。残りのうどんは明日また茹でよう。明日はざるうどんもいいかなと考えていたら、晃ちゃんからコメントがきた。
  「すごいクオリティ! 奥さんになる人が羨ましい。」
  晃ちゃんから最高の誉め言葉をもらって、照れた。
  「お恥ずかしい。立派な主夫を目指して精進します。笑笑」
  晃ちゃんにコメント返しをすると、俺はうどんで火照った体を冷やすためにラムネを飲んだ。甘くてほっこりする。奥さんになる人が羨ましいなんて、嬉しいことを言ってくれるじゃないか。
 俺が中学校の国語の教師になったら、保育園への子供の迎えがあるから、部活の顧問は断るつもりだ。子供と一緒にスーパーで買い物をして、仲良く手をつないで帰る。夕飯は手速さが大事だが、肝心なのは栄養だ。体が資本なんだから、主夫として沢山学ぶべきことがありそうだ。奥さんと子供にパパのご飯はおいしいねって言われたいから、料理教室に行こうかな。明るい未来像が頭にふんわりと淡い色彩で描かれていく。幸せだろうな。奥さんにありがとうって言われて、一日の疲れも吹き飛ぶだろう。良夫賢父を目指そうか。それとも自然体で仲良し家族がいいだろうか。そんなことを考えていたら、シズカと理人の安い関係などばかばかしく思えてきた。セコい話だ。小さ過ぎぎる。自分までその小ささに巻き込まれそうで嫌な気持ちが襲ってきたので、切り替えるために戦い系のゲームを真剣にやった。
 一通りゲームに熱中して、一休みしようかなと思った時のことだった。理人がツイッターシロフクロウの画像を載せた。愛らしい顔をした、とても癒やされる姿のシロフクロウだ。画像の下には「シロフクロウ猛禽類です。」とツイートされている。俺は苦々しい気持ちになった。
 俺達五人は秋に谷中のバードカフェに行った。そしてそこにいたシロフクロウが俺に似ていると大騒ぎになったのだ。俺はシロフクロウのシロー君と一緒に写真を撮ってツイッターに載せて、「双子」とツイートした。皆でその投稿を見て大笑いした。それから理人は俺のことをシロー君と呼んだり、ツイートにシロー君のことを載せたりしたことがあったのだ。深読みが得意なシズカは、シロー君が俺の象徴であることを知っているはずだ。シロフクロウは元来大人しい性質だが、猛禽と呼ばれる生物だ。見かけによらずどう猛で、鋭い爪とくちばしで確実に獲物を捕らえる能力を備えもっている。
 またもや理人はシズカにメッセージを送ったようだ。結城星彦君はとてもどう猛だから怒らせたら恐いのです、と警告したのだ。あぁ。口が乾いてきて、無理やり唾を飲み込んだ。
  翌日、シズカからメールが来た。
  「新学期が始まったね。教職、お互い頑張ろう!」
  俺は正直嬉しかった。タイミングは確かに最悪だった。理人のツイートに連動しているシズカの行為に、手放しで喜べるはずもない。だけど嬉しかった。男ならここで一発決めなければならない。今タイミングを外したら、二度と連絡は来ないだろう。返信するためにメールを見返すと、iPhoneよりと表示があるではないか。シズカはとうとう、ケータイをスマホに変えたのだ! 何とかラインを交換して、シズカとの距離を縮めなければならない。
  「新学期がはじまったね! iPhoneにしたんだ」
  これでシズカはラインアドレスの交換を持ち掛けてくるだろう。俺のさり気ないリードはちょっと気づきにくいだろうが、テクニカルな小技を使っていて、恋愛初心者のシズカにはとても親切な仕様になっている。
  「そうそう。春休みに換えたんだ。ガラケーは授業の出席の時、困るからね。ラインができるようになったら、アドレス知らせるね。」
  来た。とうとう待っていたものが来た。俺はシズカに「早くね。」と送ろうとしたが、やめた。男たるもの毅然としなければならない。俺はシズカに返事をしなかった。
  猜疑心は恋愛において最も危険な悪者だ。だが相手を好きであればあるほど沸き起こってくる厄介なもので、カップルは大概これで関係に亀裂が入り、壊れてしまう。シズカと理人の交流のことは、一旦場外に置いておこう。二人の交流にこだわって迷ってばかりいると、また前みたいにチャンスを逃してしまう。あんな思いをするのは、もうたくさんだ。俺は「頑張れ、頑張れ」と自分に声を掛けながら、フー、フーと声を出して深呼吸を繰り返した。大丈夫。シズカを信じてラインのアドレスが送られるのを待っていよう。深呼吸のお陰で酸素が脳に回ったようで、やっとそんな気持ちになれた。

第二部インストーカー3

あらすじ
  シズカと交流することに何とか成功した星彦は、直に話すことができないため、SNSで交際しようと目論む。だが道のりは程遠く、一進一退を繰り返す日々だ。そのうちシズカの様子がおかしいことに気づいた星彦は、ツイッターを使って問い詰める。するとシズカは徐々に理由を話し始めた。

 

登場人物

結城星彦…片思いに悩む、関東の地方都市出身の大学生。印象が薄く、好きな女性に存在を知られていなかったことに大きなショックを受けている。

シズカ…星彦が片思いをしている女性。穏やかだが感情がわかりにくく、付き合いにくい。

理人…星彦の親友。六本木で生まれ育ったおしゃれ男子。

愛梨…理人の彼女。ぽっちゃり体型が悩みで、食べることが大好きなのに我慢の日々である。

巧…教職の授業で同じグループになった、熱血教師を目指す一途な野球青年。

田島…岩手出身の純朴で心優しい詩をこよなく愛する男。シズカが想いを寄せている疑惑がある。

 

その3

    小鳥カフェは程良いお客の入りで、快適だった。壁際の空間をガラス張りにしていて、色とりどりの可愛い小鳥たちの小さな動きが愛らしい。よくもこんなに鮮やかな天然色が生まれ出るものだ、と見とれてしまう。この世界が広がって俺の周りの景色になったら、さぞかし心が晴れやかになるだろう。鳥になりたい。大きな空間をただただ自由に駆け巡りたい。
 俺は様々な種類の小鳥たちを取りこぼしなくスマホに収めていった。特に俺が気に入ったのは、文鳥の文子だ。文子は姿がとても美しかった。スマートなのに艶やかで、生き物とは思えない完璧なフォルムをしていた。まさに、美という概念を形象化したものである。文子の姿を何枚も何枚もカメラに撮り続けていると、理人が肩をつついた。邪魔をする奴は許さん、と理人を睨むと、理人はクィッと顎を動かして流し目で合図した。視線の先に目を向けると、長い髪にカチューシャをつけて、クリーム色の小花柄のワンピースを着た、ぽっちゃりした女子が不満そうな顔で立っていた。隣のショートボブのケバい化粧の女子は、真っ赤な唇をへの字にして、俺を睨んでいた。どけ!でかいキモオタ、と目で威嚇している。この二人も美しい文子が目当てのようだ。くそっ。仕方ないから、隣のでかい鳥を撮ろうとしたら、その鳥がとんでもない奇声を上げ続けたので、席に戻った。
    奥の部屋では鳥と触れ合える。五百円追加で俺達はその部屋に入った。真ん中の木の枝におかめインコや文鳥カナリアなどが止まっている。餌を乗せて手を差し出すと、その手に乗ってきて、餌を食べてくれた。愛梨は大はしゃぎで可愛いを連発して、理人に甘えている。小動物が大好きな理人は、愛梨をからかいながら小鳥を優しく撫でている。平和だ。俺は二人の動画を撮るためにスマホを構えた。
 「おっ、いい感じ。小鳥も愛梨もかわいいよ!」
    俺はカメラマンのようにモデルをその気にさせながら、動画を撮っていった。理人は本当にイケメンだ。これをインスタにアップして、シズカを地獄の底に突き落としてやる。だけど、理人の顔を載せてしまうと、シズカは悔しさも相まって、当てつけのように何度も理人の姿を堪能するに違いない。シズカは理人にそっくりなアイドル、松井駿が大好きなのだ。もしシズカがツイッターをしていたら、「松井駿サイコー!」という嫌がらせの投稿をしてくるところだった。シズカはそういう女だ。
 俺は愛梨と鳥だけを動画に撮った。俺と愛梨が二人きりで行ったと誤解されることはない。愛梨の腕に密着する腕から伸びる褐色の細い指が理人のそれであることは、シズカにはすぐわかるはずだ。俺は愛梨の隣にいる理人の姿を大胆に切り捨てた。
    カフェで散々、理人と愛梨のラブモードを見せつけられてうんざりしたものの、二人にはこれからも協力してもらわなければならない。その効果の大きさに比べたら、二人のイチャイチャくらい屁でもなかった。二人の仲が良くても悪くても、俺には関係ない。使えるものはきっちり使う。それがU高校で学んだ、良い人生における常識だった。
    帰宅して、すぐにインスタ用の写真を編集した。最初はやはり文子の美しい姿だろう。次はカフェオリジナルの小鳥をモチーフにしたケーキだ。見かけだけでなく、味も良かった。最後に愛梨と、理人の腕だけが出てくる動画を載せよう。音声はオフにした。さて言葉はどうしようか。シズカが怒りで目が出血するほどの言葉はないかと、しばらく思案した。
  「やっぱこのメンバー最高!」
  来たっ。こんないい言葉が出てくるなんて、俺は今日は抜群に冴えている。二つの写真と一つの動画、そしてナイフのように光るこの一言。俺はこれらを一つにまとめ上げて、インスタに投稿した。零時を少し過ぎていた。
    投稿ボタンを押し終えた時、俺は小鳥カフェにいた大きな鳥とそっくりな、奇妙な声を上げて笑った。笑いはだんだんエスカレートして止まらなくなって、ベッドの上を転がりながら声を上げて笑い続けた。涙が出るほどおかしくて、そのうちひっ、ひっとおかしな声が出てきて、ひきつけを起こしそうになった。構わず笑い続けていたら、激しく咳き込んで呼吸困難になって、やっと我に返った。
 シズカが地獄の底に落ちる。予期せず突然に地獄へと続く落とし穴にはまって、真っ逆様に落ちていくシズカの間抜けな姿を想像すると、腹から笑いが湧き上がる。俺の繊細な心を土足で踏みつけた天罰だ。地獄を見るがいい。
 俺は興奮して、なかなか寝付けなかった。泣きべそをかいているシズカの姿が、消しても消しても頭の中に浮かんできて、やり過ぎたかなという思いがよぎった。いや、同情なんかするもんか。謝るべきなのはシズカの方だ。だから、シズカが素直に謝ってくるのを、俺はじっと待っていよう。桜の花が咲くまでに、その樹を見守る大地のように。哀れなシズカを優しく抱きしめる自分を思い描いて、俺はそっと目を閉じた。
 大学一年生の春休みはこんな風に、まるで夢の中にいるように実感が乏しくて、手応えなく過ぎていったのだった。