インストーカー

恋愛小説を毎週水曜日に連載していきます。

インストーカー12

あらすじ

 都内の大学に通う結城星彦は、不本意に入学したこの大学で、初恋の人にそっくりなシズカに出会う。
  シズカとはゼミが同じだったが、後期になっても自分の存在を知られていなかったことを知り、星彦は一大決心をする。

 

登場人物

結城星彦…片思いに悩む、関東の地方都市出身の大学生。印象が薄く、好きな女性に存在を知られていなかったことに大きなショックを受けている。

シズカ…星彦が片思いをしている女性。穏やかだが感情がわかりにくく、付き合いにくい。

理人…星彦の親友。六本木で生まれ育ったおしゃれ男子。

愛梨…理人の彼女。ぽっちゃり体型が悩みで、食べることが大好きなのに我慢の日々である。

雅貴…地方出身の仮面浪人生。星彦が信頼を置いている。

 

その12

 火曜日は目覚めがいい。夜中、寝つきが悪いからほとんど睡眠していないけど、七時のアラームで気持ち良く起きることができる。前日に厳選した服を着て、髪を丁寧にセットすると気分が上がる。景気づけにおばあちゃんが送ってくれた青汁をグイッと飲んで、火曜の朝の準備は完了だ。ついつい時間をかけ過ぎて、一時間目に五分遅刻してしまうこともあるけど、火曜日の俺はとっても優等生なのだ。
 二時間目の英語の時間までに、俺は今日の予定を念入りに頭の中で確認する。超満員電車で押しつぶされながら、駅から学校までの狭い道を登校する学生に混ざってダラダラ歩きながら、一時間目の授業を受けながら、綿密に行動計画を反芻する。まだアドリブに弱い未熟者だ。計画をしっかり頭に叩き込んでおかないといけない。あぁ、受験にもこれだけの熱意があったなら、今頃また違った人生を歩んでいただろうに。そうしたらこんな気持ちを知ることもなかった。

 一限が終わると、一目散に英語の教室に向かって駆け出した。早く席を取らなきゃ。本当はもう席を変えるやつなんかいないから、焦らなくてもいいんだ。けど俺はシズカより早く教室に入ってシズカの席を取っておいて、シズカを待っているのが嬉しいんだ。シズカがそんな俺を見て、はにかみながら「おはよう」って言ってくれるのが幸せなんだ。だから俺は二人の世界のために、あの席を死守する。
 何とかシズカより早く着くことができて、机の上にリュックを置いた。真ん中より心持ちシズカ側という位置がとても難しくて、二、三回リュックを行ったり来たりさせたが、どうにか位置が決まり息をついた。すると、後ろからいきなり「おはよう」とシズカに挨拶された。俺は心の準備が全然できていなくて、下から見上げるような目線で民芸品の赤ベコみたいに顎を出して、無言の挨拶をした。挨拶が決まらなかっのが無念だ。

 「ユウキくん、先週のゼミの発表すごく良かったよ。クオリティ高くて、びっくりした」
 まじか?
 「えっ!? 本当!? そんなに良かった?」
 「うん、いきなりハードル上げられたら、後に発表する人が困るよ」
 お世辞かも知れない。気を引き締めろ。
 「でもミポリンにボッコボコにやられたもんな」
 「まぁね。でも気にしなくていいんじゃない。川原先生は見込みのない人には優しいけど、期待してる人には鬼になるから」
 優しい笑顔でシズカは言った。俺はテンパった。頭のなかで可愛い爆発が起きて、そこから花やら星やら華やかでキラキラしたものがいっぱい飛び出した。
 「So happy!」
 訳がわからなくなり、「ありがとう」と言おうとして出た言葉が
 「童夢がひどすぎてホントとばっちり受けたよな」
 だった。だけど、それが別に失言だとは思わなかった。だからシズカが「あ~、マジでそれね」と言って笑い出すことが俺の中で決まっていて、次のセリフの準備を整えて、後は音声化するだけだった。「ほんと迷惑だよな」と。
 だがシズカは穏やかだがきっぱりとした口調で
 「鈴木くんは一生懸命やってたよ」
 と言った。笑顔は無く、声は冷たかった。いや、むしろ熱かった。完璧に童夢を庇っていたのだ。

 何で? 何で童夢が庇われて、俺は怒られるの? 童夢がひどいのは本当のことじゃないか。いつもそうだ。優しい言葉をくれるから、俺は気取りのない素直な言葉を発するんだ。そうしたら、何か返事が重いんだ。そして俺はその空気を敏感に感じ取ってしまうんだ。だから言葉を発するのが怖くなって、言葉が頭の中でカラカラ回って、そのままスマホに手が伸びて、その日の会話がそれで終了になってしまうんだ。
 前の前の席で、田島が笑いをこらえて肩を震わせているのが見えた。その時シズカの頬が紅くなり、一瞬眉がつり上がって遠い目をしたのを俺は見逃さなかった。
 まさか!本気で田島を…。田島のどこがいいんだ。そいつは背が高いだけが取り柄の、岩手の山奥から出てきたニホンジカなんだよ。いつもぼんやりしているだけなのに、シズカは男に免疫がないから「優しいひと」って勘違いしてるんじゃないのか? こいつは、くくっ、こいつはなぁ、伊藤愛にラインで自作の詩を送って気持ち悪がられて、変質者とみなされてラインをブロックされた男なんだよ。はっ、そんなことも知らないで、いつまで夢見るお姫様でいるつもりなんだ。俺はスマホを握りしめて思いっきり毒づいた。結局、計画していた一人芝居を披露することも無く、またもや別れの言葉も無いままに俺は食堂に走った。

 今日は王先生がよほど腹が減っていたのか、それとも午後一の用事でもあったのか、理人はもうラーメン定食を食いながら愛梨や雅貴とにこやかに談笑していた。
 「おい、ぼーっとしてビビンバ落としたら大火傷だぞ。大丈夫か?」
 理人の言葉に、自分が鉄鍋ビビンバを注文していたことに初めて気づいた。席に着いてビビンバを混ぜながら、何でこうなるのかとそのことばかりが頭の中を堂々巡りしていた。
 「芝居…できなかった」
 騒々しい食堂では力ない俺の声は人の耳に届かないのか、雅貴は「あぁ?」と言って怪訝な顔をした。だが理人は読唇術を使ったかのように、俺の言葉をキャッチした。
 「また失敗したの?」
 その冷ややかな響きに、俺ではなく愛梨がビクッとして顔を強ばらせた。食べることが何よりも楽しみな愛梨だが、彼女はそっと箸を置いてお茶を一口だけ飲んだ。
 「だってシズカが童夢のことばかり庇うんだもん。それに田島に…」
 「童夢?何で童夢が出てくんの?」
 さっきの一言が強すぎたことを気にしたのか、理人の声は幾分か甘さの混じった声に変わっていた。
 理人は二浪しているから俺より二つ年上だ。高校二年生の三学期を終えて私立の進学校を退学すると、通信制の高校に編入した。いきさつを根掘り葉掘り聞いてはいないから、詳しいことは知らないが、学校がとにかく合わなかったようだ。成績だけは良かったことで学校もかなり温情を示して、出席日数の足りなさを補習でカバーすることを提案してきたが、あっさりと辞めてしまった。
 「そんなやつ割といるよ」と軽く言っていたが、俺の高校には一人もいなかった。成績不振で落第するんじゃないかとビクついているやつはいても、自ら退学するなんて誰にも有り得ないことだった。俺の卒業した高校は偏差値が72で、毎年20人以上東大に合格する、県下きっての超名門進学校だ。県立の男子校なのだが、ここの制服を着ているだけで老若男女みな視線を送ってくる。それはまるでセレブのステイタスが付いているようなものだった。
 俺はこの高校には新幹線通学をしていた。しがない高校教師なのに二度も家を買った父親は、例え一人っ子の俺でも新幹線通学をさせることに二の足を踏んだ。だがおじいちゃんの鶴の一声であっさりと、この学校を受験することが決まった。「おじいちゃんが三年分の新幹線代を出すから受験しなさい」と。その期待に応えるべく俺はもう二度と勉強したくなくなるほど、本当に気が変になるほど受験勉強した。そして気は変にならなかったが、二度と勉強したくなくなってしまった。絵に描いたような転落人生の始まりだった。
 通信制高校は、学校に行かなければならないスクーリングという期間以外は、登校してもしなくても良い。三年間のうち、浜辺の宿舎でスクーリング合宿に二週間だけ参加すれば、あとは一日も登校しなくても卒業できる学校もある。理人は前の学校でほとんど単位を取っていて、新しい学校では全ての単位を認められたので、学校でやらなければいけないことはほとんどなかった。たまたま同級生にミュージシャンがいて、その子と会うために気が向いたら学校に行っていたと言う。高校生なのにミュージシャン? たまにふらっと行っても大丈夫な高校ってあったんだ。理人の学校のやつらのような生き方は到底自分にはできないが、理人のクールさはそこで育まれたのかと思うと、どんな高校生活をしていたのか興味が湧いてくる。
 俺は今まで知らなかった世界の住人である理人の魅力に吸い寄せられて、たくさんのJLAメンバーの中から、彼をソウルメートに選んだ。年上だし気安いタイプではないから、俺の理人に対する態度を馴れ馴れしいと言うやつもいたが、理人はシャイだが情に熱い人だから、むしろこちらから心を開いていった方がいいのだ。

 「童夢とか田島とか何か関係あるの?」
 また、詰問調だ。俺がシズカとの関係作りにまたしくじったことを咎めたい気持ちはわかる。らしくない棘のある言葉を吐き出してしまうのも、理人の美学に反するはずだ。
 「だからぁ、話すと長くなるからぁ」
 申し訳なさでさらに小さくなった俺の声は、もう誰も聞き取れなかった。
 「ユウキくんだけが悪いんじゃないよ。シズカさん無神経だし」

 珍しく愛梨が理人に対して反論めいたことを口にした。
 「お前は見てないだろ。知ったようなこと言うな」
 可哀想に愛梨は俺を庇って理人に咎められてしまった。
 「まぁまぁまぁ、ユウキはまだ生まれたての子牛みたいなもんだから、歩くまでにちょっと時間がかかるんだよ、なっ」
 雅貴の鷹揚な話しぶりにはいつも救われる。理人の完璧主義が他人や自分さえも追い詰めてしまうことがたまにある。そんな時、いくら美形でも彼女が勤まるのは愛梨しかいないなぁ、と思ってしまう。
 「やべっ俺、教育基礎論のコメント、出してないわ。もう行く」
 理人は立ち上がると愛梨の頭を優しくぽんぽんとして、トレー置き場に向かった。やっぱ完璧だな。後ろ姿に見とれていたら、振り向いて「ユウキ、今晩ライン会談するから!」と叫んで走り去った。あぁ、なんて優しげな笑顔なんだ。惚れるよ、男ながらに。俺と愛梨の顔は、溶けかけのソフトクリームみたいになった。